亀田興毅・世界王座!!2006/08/02 22:46

久しぶりにボクシングの世界タイトルマッチを見た。話題の亀田興毅の試合だ。個人的には、生意気そうだなぁという印象が強かった亀田選手。だが、今日の試合を見て、少し見方が変わった。

かわいいヤツじゃないか、亀田興毅!!

感動した。彼がこんなに苦労した試合はなかっただろう。いきなり1Rでダウンをしたときは、負けたなと思った。なんとか最後までがんばり抜き、試合は判定に・・・。おそらくダメじゃないか??そう思ったが、なんとぎりぎりで亀田選手が勝利した。見事、世界チャンピオンになったわけだ。おめでとう!!

何に感動したのか。いつも強がり、相手を下に見下すような威嚇。それが少々気に入らなかったわけだが、その背景をなんとなく垣間見れたからかも知れない。彼は、お父さんを愛している。そして、お父さんも、彼を本当に愛している。そう感じた。あんなにお父さんに感謝している息子は、最近ほとんど見かけない。鬼コーチのようにして、厳しく指導しているのに、息子達は父を信頼しているのだ。

平坦な道のりではなかったようだ。お父さんのやり方は素人的で、めちゃくちゃで、絶対世界タイトルなど無理だとバカにされてきた。でも、彼はお父さんを信じ続けた。男手ひとつで、仕事と家事とボクシングの指導、そして一緒に遊んでくれる父を、尊敬し、信じていたのだ。そして、兄弟同士もまた、信頼し合い、励ましあって来た。

興毅は言っていた。おやじのボクシングが世界に通用するのを見せたいと。そして、世界タイトルを手にしたとき、止まらぬ涙の中で、父への感謝を言葉にした。このタイトルをおやじにささげると!!

お父さんは、たまりませんね^^ 鬼コーチも感動のあまり、泣きっぱなしだった。

家庭崩壊が深刻化する昨今。一風変わった親子の信頼関係を見た。変わってはいるが、その絆の深さは偽りではなさそうだ。お父さん、お疲れ様でした^^ 

自分も父親なので、なんとなく嬉しい気持ちになったところです。

笑うこと2006/08/05 10:56

少し前に、

「笑い療法士」

なる資格があることを知った。へぇー、そんな資格があるのかと、興味深く思った。現代の時代のニーズに合っているかも知れない。お笑いブームということではなく(笑)。

笑うことは健康に良い、そう言われる。もちろん、人を馬鹿にした笑いとか、下品な笑いではなく、心の底から笑える温かい笑いなのだろうと思う。

私も笑うこと、笑ってもらえることが好きだ。我が家では、笑いのない日はまずない。子ども達もみんな笑うことが好きで、また親を笑わせてくれる。やはり、一緒に笑いあっていると、気持ちも穏やかになるのを実感できる。

よく笑う人と、そうでない人では、病気の発症率も違うそうだ。病気になる最大の原因はストレスであることからすれば、頷けることだ。医学のあり方においても、もっとメンタルの部分を見直していかなければならないのかもしれない。

笑顔は、自分だけでなく、周りの人をも励まし、慰める力がある。神様からの贈り物だ。

でも、最近笑ってないなぁという人も、少なくないのではないかと思う。辛いことがあっても、笑うことができる人がいる。やせ我慢の笑いではなく、安堵の笑顔というか、辛い中にも希望を抱いている人のやさしい笑顔だ。

教会も、笑えるところでありたい。泣けるところでもありたいが、他愛もないことで、一緒に笑えたり、お互いの存在を喜びながら、笑顔があふれる場でありたい。

カブトムシ2006/08/11 15:11

中高生のキャンプなどがあり、バタバタしておりました。 おかげで、更新が・・・

さて、空前かどうかはわからないが、最近はカブトムシ、クワガタブームだ。

我が子も例外にもれず、大好きなようだ。とは言っても、意外に恐がってて、掴むことができなかったりする(笑)

たまたま足柄山でクワガタを発見したので、そのまま持ち帰って来た。ついでに、昨日は、近くの公園に行き、カブトムシを2匹ゲット。しかし、クワガタも、この2匹のカブトムシもぜ~んぶメス!!ちょっと残念(>_<)

ところで、最近は輸入物のカブト、クワガタが随分売られているのを見かける。日本のそれより、かなり大きくて強そうだ。しかし、こういうのが逃げたり、逃がしたり・・・すると・・・ 

また、自然のバランスが崩れたりするんだろうな。「日本のカブトムシ、絶滅の危機!?」みたいな、記事を見かける日が来るかも知れない。

輸入はやめようとは言わないが、増やして逃がすみたいな事だけは、やめて欲しい。飼育する者のモラルが問われている。やはり、人間のエゴが、この世界の自然を破壊していくのだと思う。

神様は、私たち人間に、正しく責任をもってこの世界を治めよと言われる。人間が、この世界のものを自分勝手に好き放題していいということではない。私たちは、神様が造られた自然界のバランスの見事さ、美しさにもっと目を向け、それを大切に守り、管理する責任について、考えなければならない。

決して私は、環境オタクではないが、最低限のマナーを守ることは、していきたい。

少年の詩2006/08/20 15:24

今回もブルー・ハーツの歌詞から・・・

『少年の詩』より・・・

''「別にぐれてる~ わけじゃないんだ

ただ大人たちに~ほめられるような~

馬鹿にはなりたくない~」''

思春期の頃、色々な意味で大人に反発したくなったものだ。

そういう若者をぐれていると決めつけるのも、大人たちの論理なのかも知れない。

この歌詞には、ある意味、すごい純粋さを感じる。大人たちに気に入られるような、建前上の優等生になることの方が、意外にすれている気がする。ある意味、心の中では大人たちをあざ笑っているのかも知れないからだ。

私自身が、そういう生き方をしてきた部分もある。良い成績をとり、きちんとあいつさをしてさえいれば、あの子は良い子だ、立派な子だと大人は思う。でも、私の心の汚れた思いを知っている大人は、ほとんどいなかった。

そういう意味で、この歌詞は私の心を打った。こんな風に素直に反抗した方が、よほど清々しいのではないか。そんな気持ちもあったのかも知れない。 ある意味、私は、ここにある大人たちにほめられるような馬鹿だったのだ。

でも、私は、キリストという方と出会った。私の心の隅々まで知っている全知全能の神を知ったのだ。私がどんな思いで、優等生として歩んだかを知っている神様だ。それだけではなく、そこにある私の魂からの叫びもまた知っていて下さった。そして、そのままの私を抱きしめてくれた。

大人になればなるほど、この社会の波に飲まれれば飲まれるほど、本音と建前を使いわけ、人の目、人の評価ばかり気にする生き方に終始するようになる。一見ひねくれているように見えるが、こういう純粋さが大人たちに必要なのかも知れない。

イエス様はおっしゃった。子供のような心で求めなければ、神の国に入れないと・・・。純粋な叫びを聞き分ける耳、純粋に叫ぶことが出来る素直さ、神様にそれらを祈り求めている私である。

続けること!2006/08/26 11:17

ご覧のとおり、最近更新速度が落ちてます><

すると、どういうことを思うようになるかというと・・・

見てくれる人が減る。

期待度も減る。

だいぶ書かなくなったんで、自分でももういいかなって思いはじめる。

でも、私は続けることの大切さを聖書から教えられている。だから、中断することがあっても、さぼってる時があっても、また再開すればいいと思う。三日坊主も、ほんとに三日間しか続かず、四日目はできなかったなら、また五日目から三日坊主をすればいい。すると、3/4はやっていることになるので、一年の75%はできているわけだ。

たとえ、一ヶ月間が空いても、それだから「もうやーめた」ではなく、一ヶ月と1日目から、またはじめればいい。

私たちはどこかで、完璧を求めたり、勝手な基準を自分で決めて、それに到達できないとあきらめたり、自分はダメなやつだと決めつける。自分は、続けられない人間だと決めてしまうのだ。

でも、ほんとはそうではない。100%できる人間自体、ほんとはいない。みんなできないことがあるもの。でも、大きな違いは、そこから再開するかどうか。たとえ、教会に行く事をやめても、聖書を読むのをやめても、また始めればいい。始めないより、始める方がずっといい。

だから、ブログも今年の目標通り、続ける^^ 更新があまりできなくても、続けていこう。

NO NO NO2006/08/28 09:14

このシリーズ、既に3回目。

今回もブルーハーツから。

やはり青春時代のグループなんで思い入れがありますねぇ。

けれども、最初はカセットテープやCDで聞いてたんで、彼らの姿を実際のテデビではじめて見た時は、一瞬ひきましたねぇ。

ちょっとこいつら、大丈夫か? いっちゃってるぞ~なんて思ったも。まあ、すぐに慣れたわけだが・・・笑。

さて、今回の曲は「NO NO NO」

その中でもお気に入りの歌詞は・・・

「戦闘機が~ 買えるぐらい~の はした金ならいらな~い♪」

この歌詞にしびれた。中学生の私にはインパクトがあった。 戦闘機って、めちゃくちゃ高いんじゃないか??と思い、それをはした金と言ってのけるところがかっこいいと思った。ブルーハーツは、社会風刺をしながら、社会に流されない自分たちの生き方を模索しようとしているように見えて、魅力を感じたわけだ。

確かに、人間は、戦闘機を買えるぐらいのお金のために、平気で人をけ落とし、不正をし、犯罪さえも犯す。家族を犠牲にし、自分の健康を犠牲にし、はした金のために、すべてを失うこともある・・・。なんとむなしい生き方だろうか。

いっそ、戦闘機を買える程度のはした金ならいらないと、言ってのける生き方を胸を張ってしたいものだ。どうせなら、世界を牛耳れるほどのお金を求めて、そのお金で貧しい人々を助け、平和のために惜しみなく使うような生き方をしたい。中途半端なお金のために、大事なものを失うのは本末転倒だ。

「お金のために健康を犠牲にし、健康のためにそのお金を使う。」(神様へのインタビューより引用)

確かに神様から見たら、こっけいな姿だろうと思う。