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    <title>アーリー牧師の徒然草</title>
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    <pubDate>Fri, 27 Apr 2007 12:33:52 +0900</pubDate>
    <item>
      <title>新年度</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2007/04/27/1468719</link>
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      <pubDate>Fri, 27 Apr 2007 12:24:40 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2007-04-27T12:33:52+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2007-04-27T12:33:52+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;本当に久しぶりの更新です。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ブログを続けることを、一つの目標にしていたものの、危うく終わってしまうところでした（笑）。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、またやります！！
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;で、せっかくなので、心機一転して、新しくブログを作ろうかと検討中です。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、タイトルは「新・アーリー牧師の徒然草」になる予定です（笑）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;どこのブログで作るか、考えてますので、ちょっと待っててください！
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>Early's diary</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>久々です</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2007/01/13/1110021</link>
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      <pubDate>Sat, 13 Jan 2007 12:52:59 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2007-01-13T12:56:49+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2007-01-13T12:56:34+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;本当に久々の更新となります。
もはや、誰も読んでる人がいないのではないだろうか・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;と思えるほどです（笑）。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、神様は読んでいて下さるんです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私の心も、私の行動のすべてを知っていて下さるんです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私達にとって、辛いなぁって思うことの一つは、誰にも自分のことが理解してもらえないと思うときです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自分の苦労や、自分の努力や、自分の考え、主張が理解してもらえない。これってすごく孤独なんですよね。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;神様は、あなたの労苦、忍耐をすべて知っているとおっしゃいます。私自身さえわかっていないような、髪の毛の数まで、知っておられる方なんです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そんな方が今日も私とともにおられ、私に労苦を知っていて下さるんだと思うとなんか嬉しいじゃありませんか＾＾
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>Early's diary</dc:subject>
      <dc:subject>ミニ・メッセージ</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>律法って堅苦しい？</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/11/15/938884</link>
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      <pubDate>Wed, 15 Nov 2006 13:15:28 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-11-15T13:34:59+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-11-15T13:34:59+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;Q．　聖書の中にはたくさんの律法があって、あれをしろ、これはダメなどと、命令調の言葉が多いですよね。なんか堅苦しく感じるし、拘束されるような印象を受けるのですが・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;A．　確かに、聖書にはたくさんの戒め、律法がありますよね。そして、その字づらだけを追っていると、何か神様って口うるさい母親のような印象を受けるかも知れません。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、よくよく聖書を読み、その言葉に示された神様の心を知っていくとき、聖書に多くの律法が記されていることが、恵みに思えてきます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ある場合には、聖書の律法はレントゲンのようなものだと言われます。レントゲンは、私たちの体の悪い部分を調べるために撮りますよね。同じように、聖書の律法は、私たちの生活や生き方に関して、正しいものと正しくないものを明らかにしてくれます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自分が罪人であると自覚しなければ、その解決を求めることさえしないのが人間です。自分が病気であることを知らないと、治療を受けようとしないのと同じですよね。だから、神様は私たちに、神様の定めた基準を明確に示して下さっているのです。私たちを責めるためではなく、私たちを救うためにです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;また、律法は、神様と人間との関係だけに意味を持つのではありません。人間が互いに愛し合うために、より健全な関係を持てるように、秩序を与えるため、示して下さっているのです。人間の社会に法律や様々なルールがあるのは、神様が与えて下さった恵みだと言えますね。英米法などは聖書をもとに作られています。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;また、レビ記というところには、食べて良い動物、食べてはいけない動物などの記載があります。それらが事細かに記されているのは、私たちにきよさや汚れを教えるためでありました。しかし、それだけでなく、人間の命に関わることもでもあったのです。冷蔵庫も食品衛生の知識もまだなかった時代には、食中毒や疫病などが非常に大きな問題でした。神様は、そういう時代に、人々が滅んでしまわないようにと配慮して下さったとも考えられます。事実、当時のユダヤ人は、他の民族に比べて格段に長生きだったそうです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;神様は私たちを深く愛されているからこそ、事細かに律法を与え、私たちを守り、幸せに歩めるようにとして下さっているのです。そして、それを文字通り守ること自体が大事なのではありません。むしろ、そこにある神様の心、神様の思いをしっかりと理解していくことの方が大事ではないでしょうか。その思いを理解するならば、拘束されるような関係ではなく、神様の愛に感動し、喜び、自発的にその愛に応えていく生き方ができるのではないでしょうか。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>キリスト教Q&amp;A</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>功名が辻</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/11/05/664301</link>
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      <pubDate>Sun, 05 Nov 2006 14:04:49 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-11-05T14:15:32+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-11-05T14:15:32+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;司馬遼太郎原作の「功名が辻」
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;現在放映中のNHK大河ドラマだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その中で、豊臣秀吉、徳川家康といった人物が、諸大名をどのように自分の味方としていったかが描かれている。秀吉も、家康も、共通して描かれていたのは、誰が真に信頼できる者なのかを見極めようとしていた姿である。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;戦国の時代、大名たちは強いものにつかなければ、自分たちのお家の存続もままならないという背景があった。そのために、頑固に忠義を貫いていても、自分の家族、お家を守るために止む無くつくべき相手を変えなければならなかった。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかし、それは一方で、上の者からすれば自分のことをいつ裏切るかも知れないとの不安の種でもある。だから、二人ともあえて自分に不信をいだかせるような行動をとってみたりする。そこで、本当に信頼できるものは誰なのかを見極めようというのである。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;いつの時代でも、信頼に値する存在があるかどうかは、大きなものだと思わされる。自分を裏切らない存在。いつでも自分の味方でいてくれる存在。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これほど尊いものはない。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そう、キリストは、私たちを裏切らない。私たちは真実ではなくても、キリストは真実であり、私たちを決して裏切らず、見捨てず、また失望させられることもない。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;偽りの情報にあふれるネット社会を見ながら、真に信頼できる聖書と、まことの神様をいつも心の拠り所とすることができる恵みを覚えた。自分の態度いかんに関わらず、私たちが信頼をおける相手。それはキリスト以外にはいないのではないだろうか。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>ドラマ・映画</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>ネット関連病気あれこれ</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/10/20/567871</link>
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      <pubDate>Fri, 20 Oct 2006 08:48:27 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-10-20T09:05:09+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-10-20T09:05:09+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;検索エンジンgooのトップページに次のような言葉が並んでいた。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;インターネット症候群
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;mixi疲れ
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;アマゾン病
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;未読RSS恐怖症
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ウィキペディア中毒
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ブログ燃え尽き症候群
&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;四半世紀には、いや１０年前には、まだ存在していないような病気、あるいは症候群ではないだろうか。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これらひとつひとつの中身について、詳細に調べたり、触れるつもりは全くない。けれども、いずれも、ネット依存が過度に進行していくことによって、悪化していくことは間違いはないのではなかろうか。この世界は、急速に変化している。人々の心の渇きもまた、加速しているようにも感じる・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;インターネットの技術を発展させることも大事かも知れないが、人の心を養い育てることに、もっともっと多くの努力が払われなければならない。これらを利用するのは、他のどんな生物でもなく、私たち人間なのだから・・・。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>Early's diary</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>問題を正す前に</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/10/19/566671</link>
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      <pubDate>Thu, 19 Oct 2006 08:52:50 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-10-19T09:01:52+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-10-19T09:01:52+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;最近、読んでる本から、教えられることがあった。
『断絶世代とつながるために　～ユースを導くための14章』という本だ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その中で、人を肯定したり、受容したりすることについて触れられている。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;で、このような言葉があった。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「問題を正す前に、その傷ついた心を慰めなくてはならない」
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私たちの多くは、特に男性は、傷ついた心をいやすことよりも、その原因である問題にすぐに取り掛かる事が多い。私も、そういう失敗の連続である。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;妻が、私に辛かった出来事を話してくるとき、その出来事をどう乗り越えるかを一緒に考えようとする。それは悪いことではない。だが、まず妻が求めているものは、一緒になって痛んでくれる存在である。「辛い思いをしたんだね・・・」その一言が言えるかどうかが、とても大事な気がするのだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そして、この本によれば、もし、そのようにしてその人と一緒にまず痛んであげられるなら、少し落ち着いてから一緒にその問題を考えることができるようになるということだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;本当にそうだと思わされた。痛んでいる人の問題を、早く処理しようとするあまり、その痛みを一緒になって痛んであげることができず、本人も自分が受け入れられていないと感じてしまう。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;イエス様は、罪人たちの痛みを知り、一緒に食事をして下さった・・・。
そんなことを思い出した。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>ミニ・メッセージ</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>伝わるのは心・・・</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/10/08/552604</link>
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      <pubDate>Sun, 08 Oct 2006 14:03:02 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-10-08T14:14:38+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-10-08T14:14:38+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;最近思っていることがある。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;牧師として色々な人に連絡したり、手紙を書くことがある。けれども、それがいつの間にか、まさに牧師としての責任や義務という動機で、なすようになっている。そんな自分に気がついた。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しばらく来れてない人に連絡を取り、その人が教会に来ると安心する。また、しばらくすると来なくなる。また、連絡する。また来るようになる・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そんな繰り返しの中で、私がしていることは何だろうかと思わされた。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;とにかく教会に来れるように連絡を取ることが中心になり、それで来たら目に見える問題が解決したように思える。でも、根本的な問題は触れられていないままであったりするのだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私自身、その人への愛をもって接しているのだろうか。その人が来ないと人数が少なくなるからとか、牧師の責任を果たしていないような気がするからなどの動機がないとは言いきれない。だが、それはやはり相手にもわかるのではないだろうか。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;やはり本当に伝わるのは心なのではなかろうか。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;事実、心の伴わない言葉、心の伴わないプレゼントはむなしい。そして、受け取る時にも、不思議にそういうものはわかるものである。逆に言えば、たどたどしいことばであっても、そこに心が伴っているならば、それが人には伝わるのではないだろうか。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;神様というお方は、私たちの心がどこにあるかを問いかけて下さる。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;「この民は、口先では私を敬うが、その心は、遠く離れている。」（マタイ15：8）&lt;/strong&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;このような者たちの礼拝は、中身がないので意味がないと言われる。人間関係も神様との関係も、私たちの心の所在が大切なのだと改めて思わされてた・・・。
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>洗う価値もない</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/10/02/545245</link>
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      <pubDate>Mon, 02 Oct 2006 10:19:43 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-10-02T10:28:04+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-10-02T10:28:04+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;先日、妻がイスのクッションを洗おうとして、やめた・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;もともと安物のクッションで、子供の食卓のイスに使っていた。イスを汚されるのを恐れて、そのクッションを敷いていたので、だいぶ汚れてきている。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;妻は、「安物だし、もうボロボロだから、洗うのももったいない」と言って、捨てることにした。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それを見ながら、私たちもこのボロクッションのようではないかと思った。洗う価値もないほどに、罪で汚れきっている・・・。でも、神様はそれを見捨てず、しかも大きな犠牲を払って、きれいに洗い流して下さった。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ご自分のひとり子キリストのいのちという犠牲だ・・・。
捨て去れても仕方ないほど、汚れきっている私たちなのに、神様はお見捨てにならず、あまりにも尊い代価を払って、罪を洗いきよめて下さった。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」（ヨハネ3:16）&lt;/strong&gt;
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>ミニ・メッセージ</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>孤独との戦い</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/09/18/528524</link>
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      <pubDate>Mon, 18 Sep 2006 17:58:26 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-09-18T18:13:42+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-09-18T18:13:42+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;人は誰でも孤独である・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;と言うと、なんか暗い感じがするだろうか？？
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、事実なのではないか。素敵な恋人がいる人、結婚している夫婦、子沢山な家庭、親友に恵まれている人、よくなついている部下を持つ上司・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そういう環境にありながらも、常に孤独ととなり合わせで、さびしさをまぎらわすように飲み食いや、スポーツ、快楽にふける人々が少なくないはず・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一心同体となっているような、親しい夫婦であってさえ、互いを理解しきれずに悩んでいる。夫婦の間でさえ、孤独を感じるのだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;人間はこの世のものでは、どうしてもその心を満たす事ができないもの。なぜなら、神様は人間をそのように造ったからだ・・・。造り主である神の愛の中に留まってはじめて、その心が満たされる。もちろん、神様は友人や家族を用いて、人間を励まし、助けさせる。だが、その心の、いや魂の飢え渇きを真に満たすことができるのは、キリスト以外にはないのだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;あなたは、さびしくないだろうか？&lt;/strong&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;楽しいことをし、快楽にふける。その時は、楽しく、満たされてるような気がするかも知れない。でも、好きな人にいつふられるか、友人にいつ捨てられるか、大切な人がいつ自分から去っていくか・・・。楽しい時が過ぎれば、不安になり、恐れを抱き、さびしくなるのではないだろうか・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;仲良く楽しそうにしている人々を見ては・・・自分は孤独だと感じるかも知れない。けれども、そう見える彼らもまた、心のうちに深い孤独を抱えて生きているに違いない。神を信じているのでないならば、必ず別れがあるからだ・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;神様は、私たちを愛している。私たちがイエスを信じるならば、一方的に見捨てられる事など決してない。「いつも共におられる神（インマヌエル）」それが、この方の名前なのだ・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;あなたの孤独は、この方によってのみ埋められると私は信じている。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>ミニ・メッセージ</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>イエメン戦</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/09/07/515006</link>
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      <pubDate>Thu, 07 Sep 2006 18:12:44 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-09-07T18:28:08+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-09-07T18:28:08+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;えー、オシムジャパンになってはじめて、まともに試合を見ました。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;はぁ・・・
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ため息が出た。ほんとにゼロから日本代表を育てなおしなんだなと、感じた。積み重ねというものがなされないと、日本サッカーはここまでではないかとも・・・。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それはさておき、まずは戦評
アーリー’ｓ評価　☆☆☆（５段階評価）
です。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;かろうじてでも、勝ちは勝ち。それは評価すべきなので、☆３つ。それと、2300Mという標高、ピッチのひどさ。これは、見ててもむごいほどだったので、そういう面も考慮してかろうじて☆３つ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;内容としては、☆２つにしたいのだが、勝ったのでやはり３つということで＾＾
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;感じたことは、選手の基本技術がやはり低いということ。クロスの精度はあまりにもひどい＾＾；　シュート精度は言うまでもないのだが・・・
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;やはり、中村、小野、高原、小笠原・・・あのあたりの選手がいないとダメかなぁ。でも、鈴木は良かったなぁ。運動量も豊富だし、いいところにいる。センスがある選手だと感じた。それにしても、選手がだいぶ代わっている。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;どんな優れた選手も、監督も、ずっとそのポジションを維持しつづけることは容易ではない。というより不可能だ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;神様は、一人の人間が永遠にトップの座に君臨することを許されない。どんな優れた監督も、チャンピオンも、社長も、王様も・・・ごくごく限られた期間のみ、その地位にある。永遠に王の王、主の主である方は、創造主なる神様以外にはあり得ない。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;人の世の移り代わりを見ながら、永遠に変わることなき神の存在を意識させられる。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>サッカー大好き！</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>NO NO NO</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/08/27/501041</link>
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      <pubDate>Mon, 28 Aug 2006 09:14:18 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-08-28T09:14:12+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-08-27T20:15:25+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;このシリーズ、既に３回目。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;今回もブルーハーツから。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;やはり青春時代のグループなんで思い入れがありますねぇ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;けれども、最初はカセットテープやCDで聞いてたんで、彼らの姿を実際のテデビではじめて見た時は、一瞬ひきましたねぇ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ちょっとこいつら、大丈夫か？　いっちゃってるぞ～なんて思ったも。まあ、すぐに慣れたわけだが・・・笑。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;さて、今回の曲は「NO　NO　NO」
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;その中でもお気に入りの歌詞は・・・
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「戦闘機が～　買えるぐらい～の　はした金ならいらな～い♪」
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この歌詞にしびれた。中学生の私にはインパクトがあった。
戦闘機って、めちゃくちゃ高いんじゃないか？？と思い、それをはした金と言ってのけるところがかっこいいと思った。ブルーハーツは、社会風刺をしながら、社会に流されない自分たちの生き方を模索しようとしているように見えて、魅力を感じたわけだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;確かに、人間は、戦闘機を買えるぐらいのお金のために、平気で人をけ落とし、不正をし、犯罪さえも犯す。家族を犠牲にし、自分の健康を犠牲にし、はした金のために、すべてを失うこともある・・・。なんとむなしい生き方だろうか。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;いっそ、戦闘機を買える程度のはした金ならいらないと、言ってのける生き方を胸を張ってしたいものだ。どうせなら、世界を牛耳れるほどのお金を求めて、そのお金で貧しい人々を助け、平和のために惜しみなく使うような生き方をしたい。中途半端なお金のために、大事なものを失うのは本末転倒だ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「お金のために健康を犠牲にし、健康のためにそのお金を使う。」（神様へのインタビューより引用）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;確かに神様から見たら、こっけいな姿だろうと思う。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>歌詞から学ぶ人生</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>続けること！</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/08/26/499706</link>
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      <pubDate>Sat, 26 Aug 2006 11:17:56 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-08-26T11:25:29+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-08-26T11:25:29+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;ご覧のとおり、最近更新速度が落ちてます＞＜
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;すると、どういうことを思うようになるかというと・・・
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;見てくれる人が減る。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;期待度も減る。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;だいぶ書かなくなったんで、自分でももういいかなって思いはじめる。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、私は続けることの大切さを聖書から教えられている。だから、中断することがあっても、さぼってる時があっても、また再開すればいいと思う。三日坊主も、ほんとに三日間しか続かず、四日目はできなかったなら、また五日目から三日坊主をすればいい。すると、３／４はやっていることになるので、一年の75％はできているわけだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;たとえ、一ヶ月間が空いても、それだから「もうやーめた」ではなく、一ヶ月と１日目から、またはじめればいい。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私たちはどこかで、完璧を求めたり、勝手な基準を自分で決めて、それに到達できないとあきらめたり、自分はダメなやつだと決めつける。自分は、続けられない人間だと決めてしまうのだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、ほんとはそうではない。１００％できる人間自体、ほんとはいない。みんなできないことがあるもの。でも、大きな違いは、そこから再開するかどうか。たとえ、教会に行く事をやめても、聖書を読むのをやめても、また始めればいい。始めないより、始める方がずっといい。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;だから、ブログも今年の目標通り、続ける＾＾
更新があまりできなくても、続けていこう。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>Early's diary</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>少年の詩</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/08/20/492452</link>
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      <pubDate>Sun, 20 Aug 2006 15:24:27 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-08-20T15:50:44+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-08-20T15:50:44+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;今回もブルー・ハーツの歌詞から・・・
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『少年の詩』より・・・
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;''「別にぐれてる～　わけじゃないんだ
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ただ大人たちに～ほめられるような～
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;馬鹿にはなりたくない～」''
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;思春期の頃、色々な意味で大人に反発したくなったものだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そういう若者をぐれていると決めつけるのも、大人たちの論理なのかも知れない。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この歌詞には、ある意味、すごい純粋さを感じる。大人たちに気に入られるような、建前上の優等生になることの方が、意外にすれている気がする。ある意味、心の中では大人たちをあざ笑っているのかも知れないからだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私自身が、そういう生き方をしてきた部分もある。良い成績をとり、きちんとあいつさをしてさえいれば、あの子は良い子だ、立派な子だと大人は思う。でも、私の心の汚れた思いを知っている大人は、ほとんどいなかった。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そういう意味で、この歌詞は私の心を打った。こんな風に素直に反抗した方が、よほど清々しいのではないか。そんな気持ちもあったのかも知れない。
ある意味、私は、ここにある大人たちにほめられるような馬鹿だったのだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、私は、キリストという方と出会った。私の心の隅々まで知っている全知全能の神を知ったのだ。私がどんな思いで、優等生として歩んだかを知っている神様だ。それだけではなく、そこにある私の魂からの叫びもまた知っていて下さった。そして、そのままの私を抱きしめてくれた。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大人になればなるほど、この社会の波に飲まれれば飲まれるほど、本音と建前を使いわけ、人の目、人の評価ばかり気にする生き方に終始するようになる。一見ひねくれているように見えるが、こういう純粋さが大人たちに必要なのかも知れない。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;イエス様はおっしゃった。子供のような心で求めなければ、神の国に入れないと・・・。純粋な叫びを聞き分ける耳、純粋に叫ぶことが出来る素直さ、神様にそれらを祈り求めている私である。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>歌詞から学ぶ人生</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>カブトムシ</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/08/11/480365</link>
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      <pubDate>Fri, 11 Aug 2006 15:11:59 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-08-11T15:24:42+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-08-11T15:24:42+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;中高生のキャンプなどがあり、バタバタしておりました。
おかげで、更新が・・・
&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、空前かどうかはわからないが、最近はカブトムシ、クワガタブームだ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;我が子も例外にもれず、大好きなようだ。とは言っても、意外に恐がってて、掴むことができなかったりする（笑）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;たまたま足柄山でクワガタを発見したので、そのまま持ち帰って来た。ついでに、昨日は、近くの公園に行き、カブトムシを2匹ゲット。しかし、クワガタも、この2匹のカブトムシもぜ～んぶメス！！ちょっと残念(&amp;gt;_&amp;lt;)
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ところで、最近は輸入物のカブト、クワガタが随分売られているのを見かける。日本のそれより、かなり大きくて強そうだ。しかし、こういうのが逃げたり、逃がしたり・・・すると・・・　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;また、自然のバランスが崩れたりするんだろうな。「日本のカブトムシ、絶滅の危機！？」みたいな、記事を見かける日が来るかも知れない。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;輸入はやめようとは言わないが、増やして逃がすみたいな事だけは、やめて欲しい。飼育する者のモラルが問われている。やはり、人間のエゴが、この世界の自然を破壊していくのだと思う。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;神様は、私たち人間に、正しく責任をもってこの世界を治めよと言われる。人間が、この世界のものを自分勝手に好き放題していいということではない。私たちは、神様が造られた自然界のバランスの見事さ、美しさにもっと目を向け、それを大切に守り、管理する責任について、考えなければならない。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;決して私は、環境オタクではないが、最低限のマナーを守ることは、していきたい。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>Early's diary</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>笑うこと</title>
      <link>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/08/05/473159</link>
      <guid>https://p-early.asablo.jp/blog/2006/08/05/473159</guid>
      <pubDate>Sat, 05 Aug 2006 10:56:28 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2006-08-05T11:11:25+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2006-08-05T11:11:25+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;少し前に、
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;em&gt;「笑い療法士」&lt;/em&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;なる資格があることを知った。へぇー、そんな資格があるのかと、興味深く思った。現代の時代のニーズに合っているかも知れない。お笑いブームということではなく（笑）。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;笑うことは健康に良い、そう言われる。もちろん、人を馬鹿にした笑いとか、下品な笑いではなく、心の底から笑える温かい笑いなのだろうと思う。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;私も笑うこと、笑ってもらえることが好きだ。我が家では、笑いのない日はまずない。子ども達もみんな笑うことが好きで、また親を笑わせてくれる。やはり、一緒に笑いあっていると、気持ちも穏やかになるのを実感できる。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;よく笑う人と、そうでない人では、病気の発症率も違うそうだ。病気になる最大の原因はストレスであることからすれば、頷けることだ。医学のあり方においても、もっとメンタルの部分を見直していかなければならないのかもしれない。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;笑顔は、自分だけでなく、周りの人をも励まし、慰める力がある。神様からの贈り物だ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;でも、最近笑ってないなぁという人も、少なくないのではないかと思う。辛いことがあっても、笑うことができる人がいる。やせ我慢の笑いではなく、安堵の笑顔というか、辛い中にも希望を抱いている人のやさしい笑顔だ。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;教会も、笑えるところでありたい。泣けるところでもありたいが、他愛もないことで、一緒に笑えたり、お互いの存在を喜びながら、笑顔があふれる場でありたい。
&lt;/p&gt;</description>
      <dc:subject>Early's diary</dc:subject>
      <dc:subject>知っても得しないﾏﾒ雑学</dc:subject>
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