なくならない食物のために ― 2006/01/31 16:13
私たちは、何のために働いているだろうか。当然、生きていくために必要な糧を得ることが、その基本的な理由だ。生きるためには、働かなければならない。だが、聖書には、こんな言葉もある。
なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。(ヨハネ6:27)
飢えには2種類あると言われる。「物質的、肉体的な飢え」と「霊的な飢え」だ。物質的な飢えは、食べ物で満たすことができるが、魂の飢え渇き、霊的な飢え渇きは、食べ物などの物質的なモノでは決して満たすことができない。
パスカルは、この事をこう表現した。「人間には、神にしか満たすことができない空洞がある。」 この空洞を、隙間風がヒューヒュー音を立てて吹き抜けていくのだ。
聖書の中で、最も、あるいは唯一、むなしい書物は、伝道者の書である。この伝道者の書の著者は、あの栄耀栄華を極めたソロモン王だと言われる。イスラエルの歴史の中でも、彼ほど贅沢の限りを尽くした王はいないと言われる。そして、彼ほど自分の思い通りに好きなことを好きなだけできた人はいないだろう。だが、そんな彼は伝道者の書を通してひたすらに語る。
なんと、すべてはむなしいことか。すべては空(くう)の空(くう)だと。
そして、この伝道者の書の結論と言われる12章で彼はこう締めくくる。
あなたの若い日に創造主を覚えよ。結局はすべてが聞かされていることだ。ただ、神を恐れ、神に従え。
イエス様もおっしゃった。
「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネ6:35)
私たちは自分自身に与えられている能力、時間を何のために用いているだろうか。ただ、日々の糧を得るためだけに用いていないだろうか。いつまでも残るものは、信仰、希望、愛だと聖書は語る。あなたの素晴らしい能力、与えられている時間、それをいつまでも残るもののために用いてはどうだろうか。もし、キリストに従い、そのように生きるならば、人生の目的がはっきりとし、有意義な生き方ができる。私はそう信じているし、それを体験している。
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