日本対ドイツ① ― 2006/06/01 20:06
ワールドカップが近づき、テレビ、新聞、インターネット。どこを見ても、サッカーの話題が多いことに気づかされる。6月と言えば衣替えの季節だが、青いユニフォームに衣替えする日本代表ファンも多いかも知れない。
さて、先日は開催地ドイツにて、日本対ドイツの親善試合が行われた。驚くべきことに、2-2の引き分けという結果。期待が持てる結果だと思う。当日のテレビ観戦の様子をご紹介したい。
この日、AM4時半ぐらいからの放送とのことで、夜ティラナスホールでの奉仕を終え(ティラナスホールはクリスチャンの学生寮。地方から出てくるクリスチャン学生にお勧めですよ。http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Ivory/1603/)、帰って来てすぐに床につく。祈祷会の準備もすでに終わっており、10時半頃消灯。予定通り、AM4時20分に目覚ましで起き、楽しいサッカー観戦をスタート。最初の印象は、「やっぱりドイツは強い。」優勝は狙えないかも知れないが、やはり高さ、強さ、テクニックは、日本より上。それでも、日本も何度か決定的なチャンスを作り、前半を0-0でしのいだ。
しかし! 悪夢はここに起こった!!
ハーフタイムに、他のチャンネルでニュースを見ていた瞬間、日本対ドイツの結果の画面が流れた!2-2で引き分け。高原のゴール!という文字。「えっ?これ、いつの話?」思わず、口から出た。だって、まだ試合は半分終わったところ。0-0だったじゃないか。なんで結果が?
次の瞬間、すべてを悟った私は、青ざめていた。これって、生じゃなかったんだ・・・。録画なのか・・・。録画なのに、なんでこんな変な時間にやっているんだ!てっきりライブだとばかり思っていたのにー。結果がわかり、しかも誰が点を取ったかまでわかってしまっては、楽しみは半減。くぅぅ。
それでも、内容を楽しもうと気持ちを切り替えて続きを見る私だった。すると、なんと、日本が先に2点とってしまうではないか!これは災厄なシナリオだ。ここからドイツに同点に追いつかれてしまうのか・・・。2-0で日本が勝っている時点で、テレビを消そうかと考えた。今なら、日本の勝利の印象のまま気持ち良く水曜日を過ごせるかも知れない。
だが、それでは日本代表を応援する者として、誠実ではない!そうだ。見たくないと思える部分でさえ、目をそらさず、向かい合うことこそ、日本代表を応援するサッカーファンだ。どんな点の取られ方をし、どんな課題がそこにあるのか。また、これ以上点を取れないことを分かっていても、どんなチャンスを作り出していくのか、最後まで見なければならない。そんなおおげさな使命感に押し出されるまま、最後まで試合を見た。うん、よくやった。追いつかれたのは残念だし、課題もあるが、見事な試合だったと思う。
それにしても悔やまれるのは、ハーフタイムにチャンネルを代えてしまったことだ。これからはチャンネルを代えるのをやめよう。浮気はいけません。
(続く)
日本対ドイツ② ― 2006/06/01 20:27
日本対ドイツの評価をしておこう!
アーリー’s評価 ☆☆☆(5段階中)
内容的には☆4つをあげたい。でも、勝てた試合なので、心を鬼にして☆3つ。なぜなら、ワールドカップでは、どんなに良い内容の試合をしても、そのおかげで予選リーグを通過できるということはないからだ。芸術点などがあるならば別だが、あるはずもない。
しかし、内容は評価できる。といより、個人的には「日本って、こんなに強いチームだったのか。」ともらしてしまう程に良い出来だった。中田自身も今まで最高の内容だったとようだ。納得。
ドイツはホームであり、ワールドカップ直前のテストマッチなので、本気モードだったことは間違いない。怪我が完全に癒えていないのに、バラックを出したきたことが、何よりの証拠。しかも、本気でけずりに来るタックルや、その表情は必死そのものだった。ドイツは焦りからか、多くの反則をし、日本はイエローカード1枚なのに対し、ドイツは4枚。それでも、少なくて済んだ方だと言える。それだけ必死だったのではないだろうか。
ホームのドイツ。本気のドイツ。ほぼベストメンバーのドイツ。日本が苦手なドイツ(私はそう思っていた)。いくら疲れがあったとか、なんだとか言っても、それはドイツの勝手な言い訳。日本はその力を十分に見せたと言える。得点は2点だったが、それ以上に点が取れる決定的な瞬間を幾度も作っていた。特に中田。彼はやはりワールドクラス。圧倒的なキープ力、ボディバランス、判断力、サイドチェンジパスの正確さ、スルーパスの鋭さ、正確さ。感心させられる。やはり中田がこのチームの核であり、中田なしには予選リーグ突破は難しい。そう思った
守備は不安がささやかれているが、確かにこの日も色々課題はある。2失点ともセットプレーから、失点。ただ、セットプレーでやられるのは、ある程度仕方がない。現代サッカーの多くの得点は、セットプレーからであることからすれば、日本がずば抜けてセットプレーの守りが下手なわけではない。ただ、マークのずれや、集中力の切れたところをつかれるので、そういった部分はきっちり修正が必要なのだと思う。
オーストラリアは、ドイツより弱い。確かに弱い。クロアチアはドイツと同レベルだろう。ブラジルはドイツより上。このパフォーマンスが発揮できれば、少なくとも50%ぐらいは、予選リーグ突破の可能性がある。本番が楽しみだ。
でも、怪我にはくれぐれも注意して欲しい。怪我で離脱した田中選手にもこれまでよくがんばってくれたと感謝したい。加地、高原、中村、柳沢も軽い怪我で練習を休んでいる。世界中の選手、スタッフらが自分の人生をかけてのぞむ大会なだけに、皆無事にのぞんで欲しいと思わされる。
自転車練習 ― 2006/06/05 11:39
娘が補助輪なし自転車の練習をしている。昨日、教会から帰宅後、近くの公園に行った。私はいつもどおりサッカーボールを抱え、息子は三輪車に乗り、そして娘はまだまったく乗れていない、補助輪なし自転車。
この日、私は娘の努力に感動した。最初は私が後ろで支えたり、ハンドルを握って助けていた。だが、それではなかなか思うようにいかない。そこで、娘にまったく一人で練習させることに。私の手があることで、かえって娘が自分でバランスをとることを妨げていると感じたからだ。
それから娘は、ひたすら練習。私はサッカーボールを蹴りながら、娘を励まし、応援し、時にアドバイスをする。親というのは、自分の子に熱心になるあまり、できないことに腹を立ててしまいがち。教会の子育てクラスで学んだことを生かし、励まし続けることに・・・。
あまり根性がないと思える娘。しかし、この日は意外にも粘り強い。ほとんどの場合、最初の右足でこいで終わり。左足で2回目をこぐところまでいけない! だが、たまに右、左、と漕げるときが出てきた。そして、ついに、右、左、右と三回漕げた。
娘は慣れない自転車操縦で、腕が痛くなってきたらしい。必要以上に腕に力が入っているのがわかる。「じゃあ、そろそろ帰ろうか?腕も痛いんだったら、もう無理しなくてもいいよ。」半分、娘の反応を見たくて声をかけた。娘は、「まだやる。」と言う。「じゃあ、4回漕げたら、帰ろう。」
練習は再開した。すでに5時を過ぎている。だが、そこからが進まない。4回どころか、2回漕げることすら、たまにしかない。これは、どうなることやら・・・と内心思いつつ、娘を見守る。途中、手の痛みで何度も手をブラブラさせたりしている。少し高さが合っていないのかも知れない。
でも、娘は頑張る。意外だ。これまでも練習したことがあるが、今日は何かが違う。しかし、5時半を過ぎ、6時が迫ってきた。もうすぐ夕食だ。今日は難しいだろうか。そんな思いが頭をよぎる。娘もかなり疲労している。また私は誘惑の声をかける。「もう帰ろうか?」
娘は短く言い放つ。「やだ。」娘はもくもくと練習する。しかし、ついに、感動の瞬間が訪れた。ハンドルをふらふらさせながらも、2回、3回、そして4回とこいだ。えっ? そのまま娘は5、6、7、8・・・。おそらく8、9回は漕げたことだろう。本人もビックリ!父親はもっとビックリ!!
満面の笑顔で帰途についたことは、言うまでもない。知らぬ間に娘が成長していることに、不思議な感動を覚える出来事だった。まさか、あんなに頑張るとは・・・。家に帰ると6時をとうに過ぎていた。
親がどのように子と関わるか。その子の成長に合わせて、変えなければならない。そうも思わされる。私が支え続けたら、彼女はできなかったかも知れない。支え方にも色々あるのだと思う。本人のやる気や努力を、つぶさないように、どのように引き出すか。これは、本当に難しく、センシティブなこと。親ももっともっと成長せねば。
苦しみの意味 ― 2006/06/09 11:23
「なぜ自分はこんな苦しみにあうのか。」
誰しも1度は抱く疑問ではないだろうか。
苦しみについては、いくつかの理由がある。少なくとも、アダムとエバが罪を犯す前には、苦しみはなかったと言える。彼らが神様を裏切り、善悪の知識の実を食べてしまって以来、人類全体が堕落してしまい、神様との交わりが失われてしまったのだ。堕落の記事によれば、産みの苦しみや労働の苦しみなども、ここから始まったことが記されている。つまり、罪は多くの苦しみの根本的な原因であると言える。
しかし、こういうみことばもある。
ある盲人を指して、「彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。」と弟子たちがイエス様に尋ねた。イエス様は答えた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」(ヨハネの福音書より)
本当に苦しみの中にある人は思うことだろう。「自分に神のわざなど起こらなくて良い。それよりもこの苦しみを取り除いてくれ。」と。
しかし、恐ろしい病や苦しみを通っている人々の中に、驚くほどの輝きを持って生きている人々がいるのはなぜだろうか。
ヘレン・ケラーという人は、3重苦を背負っていたことで有名だ。目が見えない。耳が聞こえない。話すことができない。闇と沈黙の世界がどこまでもつづくのである。これを読んでいるあなたは、少なくともこの世界を知らない人だと思う。私も同様だ。
でも、彼女はこの苦しみがなければ、自分は神と出会い、神の目的に生きることを知ることができなかったと告白している。そして、自分に与えられたこの苦しみを感謝し、肯定しているのだ。そして、世界中の人々は、彼女によって多くの励ましを受け、生きる希望を与えられたのだ。彼女がなした功績は、あまりにも大きい。
「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出す。」(ロマ5:3-4)とのみことばが真実だからではないだろうか。
人間本来の美しい成熟は、苦しみによって生み出されるものであるのではなかろうか。私の周りにも様々な困難、苦しみの中におられる方がたくさんいる。でも、その中で神様を見上げて感謝をもって歩んでいる人を見るときに、神様が苦しみを通らせるわけを少し理解できるような気がする。
すべての苦しみを説明しきることは、私にはできない。しかし、はっきりと言えることはある。その苦しみを通ることを良しとされている方は、愛と真実に満ちたお方なのだ。
ジーコの戦術? ― 2006/06/10 14:13
ついにW杯が開幕。
日本も明後日に初戦を控えている。説教の準備の息抜きに、ヤフースポーツを覗いてみた。そこに、かつて日本でコーチを務めたことがあるドイツ人デットマル・クラマー氏の言葉が掲載されていた。 http://wc2006.yahoo.co.jp/voice/nonfic/komatsu/at00009412.html
彼は東京オリンピック時の日本サッカー躍進の立役者であるようだ。あの名フォワード釜本らを育てたのもこの人らしい。この人は、現在の日本代表に欠けているものは、釜本のような圧倒的得点力を持つFWであることを挙げる。だが、興味深いコメントは、ジーコの選手選考や采配について、高い評価をしていることだ。
そのコメントの一部を紹介する(上記アドレスから引用。) ジーコに戦術がないというのは誤りだ。彼が鹿島アントラーズで教え、実践していたシステムと戦略は、世界レベルから見ても屈指だった。~中略~ ジーコは、選手を自由にしているというが、それも見当違い。中田のような“アーティスト”が、思い通りにプレイできる環境を作ることが、彼の重厚な戦術である
これを読んで、かつて中田が言っていたことを思い出した。うろ覚えだが・・・。トルシエ監督時には、フィールドで自由にプレーできたことがほとんどなく、サッカーを楽しめていない自分がいた。そのゆえに、彼は代表に参加するのを辞めようと思ったほどだという。
つまり、根本的なサッカー観が違うのではないか。サッカーとは何か?お金儲けや名誉獲得の機会なのか。国の威信を表すための道具なのか?本来は、そうではないし、そうであってはならないはずだ。サッカーは楽しいものではないか。ブラジルのように、生活とサッカーでの成功が密接している国が、この心を大事にしているのは興味深い。
ジーコは言う。サッカーとは、創造性(あるいは想像性?どっちもありだと思う)あふれるスポーツだ。むしろ、そうでないなら、サッカーとは言えないと。
日本サッカーがどんな結果を出せるかはわからない。良い監督、良い戦術、良い選手が揃っていても、格下の相手に敗れることもある。そして、トルシエ流の方が良い結果を出せるかも知れない。だが、選手たちや、見ている者たちがそれを見て感動し、歓喜し、勇気をもらえるプレーは、選手たちの個性が生かされ、創造性が豊かに現れ、それが有機的につながりをもって美しいひとつのゴールとして結実した瞬間ではないだろうか。
神様は人間を、神のかたちに造られた。神様から、素晴らしい創造性や、タレント(賜物)を豊かに与えられていることでもある。神の創造のわざ。それもまた、私たちに与えられた個性や芸術性を、存分に発揮できる環境を提供して下さる、神の重厚な戦術(計画)ではなかろうか。
そう、我々牧師に与えられたひとつの大切な仕事は、神に造られたひとりひとりが、その個性を豊かに用いられ、生かされる環境を作ることではないだろうか。ひとりひとりの個性が、神の聖霊によって有機的に連結され、「神の栄光」という美しいゴールを生み出すお手伝いをすることではないだろうか。
残念!次だ、ジャパン! ― 2006/06/13 00:29
オーストラリアに3-1で負けてしまった。残念。
だが、次だ。いいじゃないか。クロアチアとブラジルに勝てばいい!どうせ優勝するには、どのチームにも勝たなければならない。ひらきなおれ、ジャパン!
前向きだ。終わったものを批判することは、少しも建設的じゃない。批判したい気持ちは300%ぐらいあるが。あえてしない!なぜなら、私はジャパンを応援しているからだ。
応援するのは、調子がいいときだけじゃない。勝ち続けているときだけじゃない。負けているときこそ、落ち込んでいるときこそ、応援するんだ。神様が私たちを、いつもそうやって励まし、支えてくれているように・・・。
前を向いて・・・ ― 2006/06/15 14:36
以下はYahoo!スポーツニュースより引用。
外国人記者に対する中田のコメント:
「あなた達はいつも悲観的だ。我々が出来ることは次の試合に勝つと信じること。クロアチアは良いチームだが、それでも、日本の方が強いと信じている」(和訳)
また、残り2試合で勝ち点4を手にするのが目標かとの質問に対して:
「なぜ勝ち点4なんだ?2試合残っているので、我々は勝ち点6を手にすることが出来る」
多くの人は、彼を馬鹿にするかも知れない。身の程を知らないと言うかもしれない。そして、結果もさんざんかも知れない。でも、最初から諦めて楽な道を歩もうとする生き方より、前向きで快い。
中田は、惨敗した豪州戦のことをもう振り返らず、目の前にあるなすべきことに、非常に前向きに取り組んでいるように見える。彼のメンタルの強さを伺えるし、すぐに悲観的になってしまう私たちは、見習うべきところがあるのではないだろうか。
なぜ悲観的になるのか?そのメカニズムを勝手に考えた。そこにあるのは、傷つくことへの恐れであり、自分を守ってしまう弱さではなかろうか。すぐに悲観的になってしまう人は、期待をもって前向きに取り組んだ結果、ダメだったときのショックを恐れているのではなかろうか。
たぶん、私はそうだ。
頑張って、そして結果にも期待してダメだったとき、期待した分だけショックが大きい。それならば、最初から期待などしないようにしよう。そうすれば、ダメだったときのショックも小さい。無理だと思っていた方が楽。
私は聖書を学んでいる。聖書を読めば読むほど、信仰とは驚くほど楽観的に生きる姿勢であると思わされる。すべてのことには神様の時があり、すべてのことに神様の計画があり、すべてのことに神様の御手がある。そうなると、悪いことをなさらない神様に、期待し続ける道しかない。苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、ショックなこと。色々ある。だが、神様は真実で正しい方だ。そこに意味がある。そこに神様の計画がある。そこに神様の御手がある。
人事を尽くして天命を待つ。そういう言葉もある。最終的な結果は、神様のみが知っている。でも、私たちにできることがある。後ろのことを引きずっていつまでも前を見ない生き方ではなく、目の前にあるなすべきことを精一杯なすことだ。その上で、神様が下さる結果を待てば良い。人事を尽くしたのなら、神様にゆだねれば良いのだ。
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