伝わるのは心・・・2006/10/08 14:03

最近思っていることがある。

牧師として色々な人に連絡したり、手紙を書くことがある。けれども、それがいつの間にか、まさに牧師としての責任や義務という動機で、なすようになっている。そんな自分に気がついた。

しばらく来れてない人に連絡を取り、その人が教会に来ると安心する。また、しばらくすると来なくなる。また、連絡する。また来るようになる・・・。

そんな繰り返しの中で、私がしていることは何だろうかと思わされた。

とにかく教会に来れるように連絡を取ることが中心になり、それで来たら目に見える問題が解決したように思える。でも、根本的な問題は触れられていないままであったりするのだ。

私自身、その人への愛をもって接しているのだろうか。その人が来ないと人数が少なくなるからとか、牧師の責任を果たしていないような気がするからなどの動機がないとは言いきれない。だが、それはやはり相手にもわかるのではないだろうか。

やはり本当に伝わるのは心なのではなかろうか。

事実、心の伴わない言葉、心の伴わないプレゼントはむなしい。そして、受け取る時にも、不思議にそういうものはわかるものである。逆に言えば、たどたどしいことばであっても、そこに心が伴っているならば、それが人には伝わるのではないだろうか。

神様というお方は、私たちの心がどこにあるかを問いかけて下さる。

「この民は、口先では私を敬うが、その心は、遠く離れている。」(マタイ15:8)

このような者たちの礼拝は、中身がないので意味がないと言われる。人間関係も神様との関係も、私たちの心の所在が大切なのだと改めて思わされてた・・・。

コメント

トラックバック