迫害を受けてきた聖書2006/04/05 13:44

キリスト教入門シリーズ、「聖書」の第四回目。

 4. 誰も滅ぼすことができなかった聖書

 聖書ほど激しい迫害を受けてきた書物はない。聖書は素晴らしい愛に満ちた書物であるが、一部の権力者たちにとっては、それは目の上のたんこぶでもあった。聖書は男女平等の思想や、人間を神としてあがめる行為を禁止している。自分を神のようにあがめて欲しいと望む支配者たちにとっては、邪魔な存在であったと言える。

 ナポレオンの言葉に、こういうものがある。「聖書は単なる書物ではない。それに反対するすべてのものを征服する力を持つ生物である。」

 有名な迫害と言えば、303年のローマ皇帝による迫害だ。時の皇帝ディオクレティアヌスは、聖書をこの世から抹殺すべく、当時の世界に存在する聖書をすべて焼き払うよう勅令を出した。聖書を持っている者も死刑とされたのだ。印刷技術が発明されていない当時。手書きの写本の数などたかが知れている。数年の後、ディオクレティアヌス帝はすべての聖書を滅ぼしたと確信し、「キリスト教は滅亡した」という記念碑を建てたと言う。しかし、聖書は生き残り、むしろどんどん増え広がっていったのである。

 無視論者ヴォルテールは、聖書を批判する本を何冊も書き、多くの人々に喜んで受け入れられた。彼は数百年後には聖書は忘れ去られると確信したが、晩年の言葉はこうだった。「わたしは一生涯をかけて何という馬鹿なことをしてしまったのだろうか。」 なんと、彼の死後25年たって、彼の家は聖書協会に買い取られ、そこで今日に至るまで聖書が印刷されている。

 ドイツのケラーという人物も、聖書は歴史的に信頼できるものではないと批判し、調べ始めた。ところが、調べれば調べるほど歴史と聖書の記述が恐ろしく一致していることを知り、「やっぱり聖書は正しかった(歴史としての聖書)」という本を著したことで知られる。

 聖書の中の「使徒の働き」には、クリスチャンに対する多くの迫害が記されている。だが、同時に、迫害が起こる中で、かえってキリスト教が広まって行った歴史的経緯が記されているのだ。

 聖書の中に、「神のことばは永遠に立つ」という言葉がある。この言葉は真実である。これから先の時代も、誰もこの聖書を滅ぼすことはできない。私はそう確信している。