神のことば・聖書2006/02/07 12:42

前回のキリスト教入門では、聖書は40人もの著者によって記されていることを学んだ。しかし、聖書は「神のことば」と呼ばれる。人間の手によって書かれた書物が、なぜ、誤りなき神のことばと言えるのであろうか。

3. 神のことば・聖書

直接には人が書いたにも関わらず、聖書を「神のことば」だと言うのはなぜだろうか。

① 聖書自身が証言している。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)

「(聖書の)預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(Ⅱペテロ1:21)

 これらの言葉によると、聖書は神の霊感(聖霊の働き)によって記されたということになる。神の霊感によって書かれたとは、神様の霊(聖霊と言う)が人に宿り、その人を神様の意志のままに導き、ご自分の意志を誤り無く記させたということだ。その際、何かにとりつかれて無意識のうちに書いたということでもなく、自分の意志に反して手が勝手に動いたということでもない。神様はその人の人格や、文体のくせなど、その個性をそのまま生かして、それでいてご自身の意志を誤り無く書かせたのである。

 直接書いているのが人間なのに、なぜ神様が著者であると言えるのかということについては、こう考えてはどうだろうか。「代筆」というものがある。実際の手紙でも、またメールでも、口頭で言った内容を他の人に書かせるという方法だ。私もときどき、妻に代筆を頼んだり、逆に妻から聞いた内容を代わりにメールで打ったりすることがある。その場合、実際に書いた人間と、その内容を話した人間とは別の人だが、その場合、内容を話した人の手紙として理解されるのではないだろうか。

 聖書には預言者という人がいる。「預言」は、「予言」とは違う。「予言」は、将来のことを予(あらかじ)め言うこと。だが、「預言」は将来のことについても、もちろん語るわけだが、基本的な意味は、神様から言葉を預(あず)かり、それをそのまま人に伝えることを指す。預言とはまさに、神から預かったことばを、人が代わりに語り、記すことである。そして、これらの預言が語られた通りに実現(成就)していることもまた、聖書が神のことばである根拠と言える。

② 外的な根拠

聖書の証言を裏付ける外的な証拠も多くある。ひとつには前回の1と2で学んだ内容である。圧倒的な数の人々に支持され、世界のベストセラーとなっている事実。1600年かけて、40人の人によって書かれているにも関わらず、矛盾がなく一貫性があるという事実。

さらに、これからも学んでいくが、世界への影響力や、迫害の中でも滅びなかった不滅性。あるいは歴史的、考古学的根拠などだ。

聖書は知れば知るほど、信頼性が高まる書である。信じられない人々のひとつの原因は、「知らない」ということではなかろうか。この入門コーナーが、少しでも聖書のことを知るのに役立つ場となることを願う。