ジーコの戦術?2006/06/10 14:13

ついにW杯が開幕。

日本も明後日に初戦を控えている。説教の準備の息抜きに、ヤフースポーツを覗いてみた。そこに、かつて日本でコーチを務めたことがあるドイツ人デットマル・クラマー氏の言葉が掲載されていた。 http://wc2006.yahoo.co.jp/voice/nonfic/komatsu/at00009412.html

彼は東京オリンピック時の日本サッカー躍進の立役者であるようだ。あの名フォワード釜本らを育てたのもこの人らしい。この人は、現在の日本代表に欠けているものは、釜本のような圧倒的得点力を持つFWであることを挙げる。だが、興味深いコメントは、ジーコの選手選考や采配について、高い評価をしていることだ。

そのコメントの一部を紹介する(上記アドレスから引用。) ジーコに戦術がないというのは誤りだ。彼が鹿島アントラーズで教え、実践していたシステムと戦略は、世界レベルから見ても屈指だった。~中略~ ジーコは、選手を自由にしているというが、それも見当違い。中田のような“アーティスト”が、思い通りにプレイできる環境を作ることが、彼の重厚な戦術である

これを読んで、かつて中田が言っていたことを思い出した。うろ覚えだが・・・。トルシエ監督時には、フィールドで自由にプレーできたことがほとんどなく、サッカーを楽しめていない自分がいた。そのゆえに、彼は代表に参加するのを辞めようと思ったほどだという。

つまり、根本的なサッカー観が違うのではないか。サッカーとは何か?お金儲けや名誉獲得の機会なのか。国の威信を表すための道具なのか?本来は、そうではないし、そうであってはならないはずだ。サッカーは楽しいものではないか。ブラジルのように、生活とサッカーでの成功が密接している国が、この心を大事にしているのは興味深い。

ジーコは言う。サッカーとは、創造性(あるいは想像性?どっちもありだと思う)あふれるスポーツだ。むしろ、そうでないなら、サッカーとは言えないと。

日本サッカーがどんな結果を出せるかはわからない。良い監督、良い戦術、良い選手が揃っていても、格下の相手に敗れることもある。そして、トルシエ流の方が良い結果を出せるかも知れない。だが、選手たちや、見ている者たちがそれを見て感動し、歓喜し、勇気をもらえるプレーは、選手たちの個性が生かされ、創造性が豊かに現れ、それが有機的につながりをもって美しいひとつのゴールとして結実した瞬間ではないだろうか。

神様は人間を、神のかたちに造られた。神様から、素晴らしい創造性や、タレント(賜物)を豊かに与えられていることでもある。神の創造のわざ。それもまた、私たちに与えられた個性や芸術性を、存分に発揮できる環境を提供して下さる、神の重厚な戦術(計画)ではなかろうか。

そう、我々牧師に与えられたひとつの大切な仕事は、神に造られたひとりひとりが、その個性を豊かに用いられ、生かされる環境を作ることではないだろうか。ひとりひとりの個性が、神の聖霊によって有機的に連結され、「神の栄光」という美しいゴールを生み出すお手伝いをすることではないだろうか。

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