耐震強度・偽造問題2005/11/25 22:23

最近ニュースで持ちきりの話題と言えば、

耐震強度の偽造問題。

阪神・淡路大震災の折にも、手抜き工事などの問題が浮き彫りになったが、その後に造られたものであっても、平気でこういう事が起こるのは悲しいことだ。どこまでいっても、他人の命には、人は無関心でいられるのかもしれない。しかも、この事実が発覚してからも、これをひた隠しにしようという動きがあった、という報道も耳にした。バレなければそれで良いのだろうか?

この問題に限らないが、どうしても「人に見つからなければ、問題ない」という発想がある。日本は特に、「恥の文化」と言われ、欧米の「罪の文化」と区別される。「旅行先で最もマナーが悪いのは日本人だ」と言われるのも、そのせいではないだろうか。「旅の恥は、かき捨て」などという言葉もある。「恥」とは常に、人の目が基準ではないだろうか。しかし、罪はそうではない。罪とは神の目に、正しくないことだ。神様は、私たちが立つのも座るのも知り、心のすべてを知っている。その神様を信じる者は、本来、人前であるかないかは関係なく歩むはずだ。どこででも、神様の前に正しく歩みたいという道徳観に立つということだ。

日本もそろそろ、新しい道徳観を学んでいくべきではないだろうか。人の目のないところで、最も道徳のない日本人と呼ばれるのは、やはり好ましいことではない。

「人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサム16:7)

コメント

_ なんちゃってNurse ― 2005/12/12 14:27

私はよく、“人は見ていなくても神様は見ているぞ!”と自分に言い聞かせます。(仕事の時が多いかな)
でも、人の目や口を気にする弱さもあり、その狭間で苦しさを感じる事もよくあります。
忙しすぎて、大事な部分が見えなくなる時、「何の為にそれをするか。」そこに戻る冷静さと、主に従う勇気が欲しいです。

_ EARLY ― 2005/12/13 18:21

こちらにもレス下さったのですね。39です。
「39」わかりますか?わかりますよね(^_^;)。
誰でも人の目を恐れます。私も例外ではないです。
でも、人間は私たちの肉体を殺すことはできても、魂を滅ぼすことはできません。それができるのは、神様お一人だけですよね。

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