献金の意味2006/07/10 23:33

Q. 教会でなされる献金には、どんな意味があるの?

A. 神様への礼拝行為。神様への感謝。神様に自分自身をささげる(献身)。以上のような意味がある。

① 神様への礼拝行為

旧約聖書の時代から、人々はささげ物として農作物の収穫の一部を神様にささげていた。それは、ささげないと災いに会うといった脅迫的理由では決してない。神様への礼拝として、自分たちにとって貴重な家畜や農作物などを神様にささげたのである。献金が礼拝式の一部として持たれるのは、献金が神様への礼拝の一部として理解されているからに他ならない。献金は、祈りや賛美と共に、重要な神様への礼拝行為である。

② 神様への感謝

神様はすべての物を私たちに備えて下さっている。娘がはじめて食事の祈りを覚えたとき、こういう祈りをした。パパのご飯をありがとうございます。ママのご飯をありがとうございます。お皿をありがとうございます。お箸をありがとうございます。スプーンをありがとうございます。フォークをありがとうございます・・・。彼女が言い終わるまで、私たち夫婦は吹き出しそうになりながら待っていた。でも、この祈りに教えられた。娘の祈りのとおりだから。献金は、与えられている物の一部を神様への感謝としてお返しするに過ぎないのだ。仕事も、着るものも、お金も家も、家族も、神様に与えられているものなのだ。神様の恵みに対する私たちの応答、感謝が献金である。

③ 神様に自分自身をささげる(献身)

献金は、自分自身を神様におささげする献身の意味を持っている。創世記に、カインとアベルという兄弟の話がある。ある日カインは穀物を神様にささげた。そしてアベルは動物を神様にささげた。しかし、カインとそのささげものは、神様に受け入れられず、アベルとアベルのささげた物は受け入れられた。その違いは、ささげた物の種類の違いではない。穀物だって良い。動物でも良い。それは現金か小切手かの違い程度でしかないと私は思う。ただし、彼らのささげる姿勢は全く違っていたのだ。アベルは自分の持っている物の中で最上のものを喜んでささげた。神様は、アベルのささげものにのみ目を留めたのではなく、「アベルそのささげもの」とに目を留めたのである。

上記のことを考えると、献金は金額が問題ではないことがわかる。自分にとってそれが神様への礼拝であるのかどうか、恵みへの応答、感謝としてささげているかどうか。そして、精一杯自分自身をおささげるするような思いで、献金しているかどうかが大事なのである。たとえわずかな額でも、「私は精一杯神様にささげたのです。」と言えるならば、その人とそのささげものを神様は喜んでおられるはず。