相手より一段下に・・・ ― 2006/07/13 15:01
少し前に買った、あるビジネス雑誌を読んだ。アソシエという雑誌だ。
「能あるビジネスパーソンは、(自分を)相手より一段下に見せる」
というテーマ。
著者は、次のような人が嫌いだと書いてあった。
「非常に頭がいい人」、「英語がペラペラな人」、「誰からも好かれている人」・・・要するに「仕事ができる人」が嫌いだと言う。
なるほど・・・。わかる気がする。
自分より秀でているという事がはっきりしている相手を見ると、多くの人々は劣等感を感じたり、ねたましさを感じたりする。たとえ、そう思いたくなくとも・・・
「すごいなあ」という純粋な感動と共に、ねたましい思いも湧き上がってくることがある。
それは聖書的には正しくないこと、そして罪であると言えるだろう。
けれども、私たちは、自分が罪を犯さないだけでなく、弱い人に罪を犯させないように配慮することも、大事なのではなかろうか。
この記事は、これをあくまでもビジネス上のテクニックとして紹介している。変に落ち着き払って、くだけた感じよりも、緊張しているぐらいに見える方が、印象が良いと言うのだ。
つまりは・・・「能あるタカは爪を隠せ」である。
しかし、聖書を信じる私の場合は人々への愛の動機の中で、爪を隠すことが必要なのだと気づかされる。
「互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」(ピリ2:3)
このすぐ前にある言葉は、「へりくだって」という言葉だ。相手が優れているから、優れていると思うのではなく、キリストが自らを低くされたように、まず自分が一段下にへりくだるべきなのだと教えられる。
私はできてないなあ。
率直にそう思った。クリスチャンでなくても、ビジネスの知識として、これができるのだから、クリスチャンも負けてはいられない!
ただし、キリストの愛の動機から・・・ということがキーワードだ。
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